鉄人兵団について


 ※この文章は全て私の主観であり、これが絶対だ!と思ってるわけではありません。また、所々適当な語彙が見つからず、若干受け取り方を勘違いされる箇所があるかもしれませんがその辺はご勘弁を。温かいツッコミをいただけるとうれしいです。

 友人がレンタルショップで、ドラえもんのオススメ映画って何?と聞いてきたので魔界と鉄人を薦めた。そしたら、魔界は絵が古いので(笑)、鉄人にするといって借りていった。鉄人を見て、その友達が一体どんな反応をするのか今から楽しみである。
 来年の映画ドラえもんは、「人魚大海戦」のオマケ映像を見る限りではどうやら鉄人兵団のリメイクらしい。ちょうどいい機会であるので、鉄人兵団について何か書いてみたいと思った。というわけで早速まんだらけにて鉄人兵団の連載最終回が載っているコロコロコミックスを購入した。やはり単行本にする際に大幅な描き変えがあったのだなということがよく分かった。文章中で必要があれば初出、映画、単行本の比較などを出していく。
 さて、では本題に入る。
 
 大長編ドラえもんシリーズは、基本的にどこかへ冒険に行くことが多いが、この鉄人兵団は鏡面世界の中とはいえ、のび太達の住んでいる生活圏内での話である。なぜこの作品ではのび太達の町が舞台なのか。F先生は次のように語っている。


 

ドラえもん」のシリーズには、ひとつの大原則があります。それは、ドラえもんのポケットからどんなすごいひみつ道具が出て、どんなすごい事件が起きても、身の回りの世界にはほとんど影響を残さないということです。(中略)なぜ、こんなきゅうくつな原則を決めたかといえば、「ドラえもん世界」の“日常性”を大事にしたかったからです。読者のみなさんの身近にありそうな、そんなありふれた世界にドラえもんのトッピな道具を登場させたいからです。異常な世界、なんでもありの世界では、ドラえもんが何を出そうと不思議ではなくなってしまいます。だから、ひとつの話の中できちんと事件をかたづけて、次の話のためのありふれた舞台を残しておくわけです。
 しかし……、しかしです。長編ドラえもんも話を重ねていくうちに、たまにはのび太の町そのものを背景にした大事件を描いてみたいなと思ったのです。恐るべき強敵が襲ってきて、東京を荒らしまわるような。東京どころか日本中を、できれば世界中が破壊されつくすような、そんな大事件を。しかも、のび太のご近所に迷惑をかけないで……。
 そこで、“鏡の中の世界”を作ることにしたのです。左右こそあべこべだけど、現実の世界とそっくりな世界。しかも、人がひとりも住んでいない…。 
 
 引用元URL:http://dora-movie.com/gallery/gallery07.html 

 他のアニメや怪獣特撮ものなどでは、東京タワーなど現実世界にも存在する有名な建築物が次々に壊されるシーンがよくある。しかし、日常性を重要な要素としているドラえもんではそのような事は出来ない。だが、中々出来ないことだからこそ大長編でやってみたい・・・というF先生の思いからこの作品は生まれたわけである。
 また、実際の世界を舞台にすることにより物語そのものにも緊迫感が生まれる。鉄人兵団は他の大長編よりもかなりシリアスで重い雰囲気なのはこのためであろう。
  

 
 鉄人兵団の中で私が最も好きな要素は、リルルの心情の変化の描かれ方だ。しずちゃんに介抱されるリルルは、なぜ人間は敵なんかを手当てするのだろうと表面上は半ば納得がいっていないように見える。しかし、表面上ではそうでも、心の奥底ではかなりの葛藤があったように思える。それはリルルが「いくじなし!」と言いのび太を撃つあの名シーンを見ると分かる。
 私はこの「いくじなし!」のシーンが大好きだ。リルルはロボットであり、祖国に忠誠を誓うようにプログラミングされている。しかし、しずかに介抱を受けたことにより、本当に自分のしていることが正しいのか迷ってしまう。だからこそ、のび太がリルルを撃ってしまえばその葛藤はしなくても済む。そこでリルルはのび太に「撃ちなさい」と言い、撃てないことに対し「いくじなし!」と言ったわけだ。
 しかし、勿論のことであるが、このシーンでリルルはのび太のことを単なる「いくじなし」と思ったわけではない。リルルは、のび太が自分を撃てなかったことにより、さらに人間の心の複雑さを理解したわけである。それが、鉄人兵団の幹部たちを説得しようとするシーンの「私たちと同じように、それ以上に複雑な心を持っているのです。」というセリフに繋がったのだろうと思う。
 ちなみにこの「いくじなし!」のシーンは初出にはない。ページ数の都合だろうか。やはりこのシーンがあったほうがよりリルルの心情の変化を味わうことが出来る。
 
 
 最後の解決方法をタイムマシンにしたことを、F先生は「ぼく、頭ワルいね」と言って悔やまれていた。確かに客観的に見ればタイムマシンで解決というのは安直かもしれない。しかし、単にタイムマシンで解決と言っても、その中にリルルが消えてしまうというドラマが盛り込まれている。そのためこの解決方法で良かったと思う。
 自分が消えてしまうのにも関わらず、アムとイムのプログラムを変えるリルルにはいつ見ても泣かされる。これはもちろん、しずかやのび太との交流で他人を思いやる気持ちを持ったことにもよるだろうが、それに加え、やはり祖国メカトピアを理想的なところにしたいという思いにもよるだろう。リルルは、自分の本来の役割である故郷の発展を、このような素晴らしい形で遂行することが出来たのだ。


 ちなみにコロコロ掲載バージョンでは、最後ドラえもんが空を見上げて「メカトピアでは今ごろきっと天使みたいなロボットが生まれてるよ。」というセリフで締めくくられている。この終わり方も、確かに情緒があって好きだが、ストーリー展開があまりにも悲劇的であるこの作品で、最後まで読者に想像させて終わり、ではかなり寂しい作品になってしまう。かといって、簡単にみんなとリリルが再開してしまっては、あの感動的な別れはなんだったの?ということになってしまう。そこでF先生が用意したラストは、地球に遊びにきた?リルルをのび太だけが見つけ、そしてリルルものび太に気づくという描写で終わっている。これは、普段夢見がちにボーっとしてそうなのび太だけが見た、ということに意義があると思う。ひょっとしたらのび太が見た幻なんじゃないか、という神秘的なイメージも残せるし、リルルがちゃんと生まれ変われてよかったなあという風にも取れる。もちろん私は後者だと信じたいが。この描き変えによって、希望あふれる終わり方になったと思う。全体的に暗いイメージの鉄人兵団がこのラストにより多少明るくなったと思う。



 ところどころ言葉に詰まってしまい、うまく表現出来ない箇所が多かった。まだまだ勉強が足りないな。